正論を言えばいいってもんじゃない
前回の記事で大人の悪口の郵便屋さんについて書きました。
今回も大人同士の会話の時に気を付けたい
「正論を言えばいいってもんじゃない」ということ
について書きたいと思います。
大人同士で会話している時、相手のミスをただ責めたり、正解だと思っていることを指摘したりすることがしばしばあるのではないかと思います。
そういう時、ミスを責めたり、正解を指摘することは、言っている人からしてみたら悪気はなくいっているのかもしれませんが、言われた方はきっとたまったものではありません。
きっとやる気や元気がすごくなくなります。
ミスをしたときは、ただでさえ落ちこみますから言い方を考えなくてはいけません。
相手がもう反省をしていると感じとれるなら、前向きにこれからのことについて話したり、フォローをしたりするのが賢明だと思います。
ミスしてしまったことは事実です。指摘するのもミスをしたのですから仕方ないのかもしれません。
でも私がここで言いたいのは、そういったもっともらしい正論をいうことが相手の「これから」、自分達の「これから」に果たして良い影響があるのかということです。
「これから」のことを考えたら、きっと正論をいうという行動は効果的でない場合が多いと思います。
(ただし、相手が反省していないと明らかな場合等、自覚をもってもらうために、正論をいうことは時に必要かと私も思います。)
正解を指摘する場合においても、同様です。
すぐに答えを出す必要がなかったり、一般論が有効でなかったりする場合においては、回り道しながら、意見をすったもんだしていくことで議論している人たちの思考が整理されたり、広がったりすることがあるものです。
ですから、論理的な思考力等に優れている人は、特に「正論を言えばいいってもんじゃない」ということを覚えておいてほしいと思います。
コミュニケーションにおいて、「なぜそんなことを疑問に思うのだろう」「どうしてすぐに結論をださないのだろう」と論理的な思考力に優れている人は思いがちではないかと思います。
上述した通り、時に正論はかなりの効果を発揮しますが、日常でしていることは、会話であって、議論ではないことが多々あります。
そのあたりを見極めながら、コミュニケーションをとっていくのがよさそうだなと私は思います。
最後に私が気を付けていることを一つ書いておきます。
「やることが多い時、忙しい時程、のんびりとした気持ちを忘れない」
ということです。
のんびりするのではなく、のんびりした気持ちを忘れないということがポイントです。
効率よくちゃきちゃきやりながらも、のんびりの気持ちを忘れないようにすると、柔らかくコミュニケーションが取れると思います。
オススメですので、ぜひ試してみてください。